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聖書で変えられた私の人生

1.絶望のあとに備えられていた聖書

21_名駅_贈呈 高校2年生の時、ギデオンの聖書が配られました。その時は特に魅かれることもなく、教科書理解のための資料のつもりでカバンに入れましたが、それが20年後の私にとって最も大切な「なくてはならぬもの」になるとは夢にも思いませんでした。時折体調が悪く苦しい時、書棚から取り出してはパッと開いたページを脂汗を流しながら読んだことが何度かありました。

やがて自分自身に絶望する出来事に遭い、自分の存在の意味を見失い大変苦しみました。精神的バランスが崩れ、自殺か…という状態でした。自分だけを頼みにして気力体力を消耗しきっていました。三浦綾子さんの「光あるうちに」を読み、原罪の意味を知った時、目からウロコでした。手元にギデオンの聖書があったので、聖句をすぐ開くことが出来ました。まるでこの日のために前もって備えられてようで、今は全てを神様に委ね感謝と祈りの中を歩んでいます。(T・M)

2.対人関係の悩みに「おりにかなう助け」が

04_聖書を持って 大学2年生になったばかりの時、友達が「ただで配っていたからもらった」とグレーの本を手にしているのを見ました。それがギデオンの聖書でした。私は宗教に対して強い不信感を持っていたのに、なぜこの本が欲しかったのか自分でも不思議でした。「聖書を読んでいるなんてちょっとカッコイイかも」程度の気持ちで聖書を読み始めました。読んでいるうちに心の中に変化が起きたのです。

聖書はお伽話ではなく本当の事だと理解したのですが、なかなかイエス様を心に迎えられませんでした。対人関係に苦しむ事が起こり、解決に至りませんでした。何度も「おりにかなう助け」を手がかりに読む内に「求めなさい。そうすれば与えられます」のみ言葉が与えられました。共にいて下さる神の愛を知り、イエス様を主として受け入れ、洗礼を受けることが出来ました。ギデオンの聖書を用いて神様が私の人生を既に計画して下さったのです。(Y・U)

3.人生を軌道修正してくれたギデオン聖書

02_室内手渡し 夫からのはじめてのプレゼント、それがきれいに包装されリボンがかけられたギデオンの聖書でした。はじめて手にした聖書に不思議に惹かれるものがあり、読み進んでいく中に聖書の言葉が心に迫り来るのを拒むことが出来ませんでした。最も驚いたことは、この世の創造主なる神がおられることでした。今迄は、自分で健康に気を配り、学校でも職場でも自分自身の力で頑張っていく事が最善と思っていたのに、実は健康を与え、様々な困難を乗り越える勇気や力を与えて下さるのは神様。創造主なる神様を知らず、知ろうともせず、無関心に生きてきたことは、大きな罪であったと気付かされました。

このように神との出会いとキリスト教への導きを与えてくれた一冊の聖書、それは夫が高校生のとき校門前で贈呈されたギデオンの聖書だったのです。ギデオン協会から頂いたまま、しまっておいた聖書を私へのプレゼントとしたのです。(M・S)

4.多感な時期に手にした聖書という命の本

09_栄_路傍贈呈 今も昔も変わることなく、日常生活を送る上で困難なのが人間関係です。私が中学生だった頃も「いじめ」はありました。「明日は私がいじめられるのでは・・」と不安な気持ちで夜を迎えることもしばしばありました。

校門の前で赤い表紙の新約聖書が配布され、仲良くしていた友人と夢中になって読み始めました。その聖書には「不安なとき」「明日のことを思い煩うとき」「大切な人を失ったとき」「祈りたいとき」などの索引がありました。その中から主の教えを学びました。やがて旧約聖書を読み、預言が新約聖書で成就していること、私を愛し、祈りを聞いて下さっている方が唯一無二の神様であることを知りました。たとえ嫌な人でも「主が共にいて下さる」という安心感で、多くの人と関わりを持ててきたように思います。私の信仰心は配られた新約聖書によって種をまかれ、耕され主によって育まれたのです。(S・S)

5.朝飯前に読む聖書は心の鏡

19_ギデオン聖書贈呈 学生時代、日本国際ギデオン協会から一冊の英和対照の新約聖書を贈呈された。英語の勉強のため、毎日英文を和文と見比べながら読んだ。聖書は鏡であると言われているが、読み続けていくうちに、自分のみにくい姿が見えるようになり、罪を悔い改めイエスを救い主と信じクリスチャンになった。「聖書を味わわないで、朝食は摂らない」と勧められていたので、毎朝四時に起きて七時まで聖書を読み静かに味わうようになった。多くのことを教えられ、大きく変えられて、その一日を生きることができるようになった。また自分の考えと生き方に聖なる確信を持つことができるようなり、すべての働きが豊かに実を結ぶようになった。

日本国際ギデオン協会は、毎年聖書を中学生・高校生をはじめ多くの方に配布されているとお聞きしている。私の切なる祈りは、配布される聖書が受け取られ、読まれて真の救いへと導かれることである。 (A・I)

6.自殺しようと思った時に開いたギデオン聖書

12_ブロック塀 高校入学のとき、ギデオンの「新約聖書」をいただきました。将来に対しての不安に襲われていく自分に気付きました。今迄以上に勉強、勉強でテストの数値に追われました。大学受験のためのように思われました。はじめから大学に行く気もなく、自分で自分の首を絞めているようでした。「私って何だろう、これからどうしよう」という問題を持ち始めました。

そんな時「ああそういえば」と思い、ギデオンの新約聖書を手にとりました。「悲しみで心ふさぐ時」「平安を必要とする時」を読んで涙が溢れました。文字の羅列としか思えなかったのに、心の中にすんなり入ってくる事を実感しました。父のような存在の祖父が亡くなり、また友人との間でトラブルがあり、大量の睡眠薬を飲んで自殺しようとしました。その時、聖書を開き「教会に行けば分かるかも知れない」と教会へと、神様が私を導いて下さいました。神様に感謝します。(Y・F)

7.コンサート会場で手にした聖書

05_片桐夫人_04 私が初めて手にした聖書は、ギデオンの方からいただいたものでした。ゴスペルコンサートに出かけた際、会場のロビーで声をかけられ、無料でいただけるならぜひ欲しいと思い手を伸ばして聖書を受け取りました。それから時々ページを開いてみましたが、イエス・キリストの系図から始まり、まだイエス様を受け入れていない私にとっては、正直言ってさっぱり分かりませんでした。

しばらくして、聖書をいただいた事も忘れかけていたころ、英会話の先生が教会のクリスマス礼拝に連れていって下さいました。今までにない感動を覚えました。その日のうちにイエス様を受け入れました。ギデオンの聖書を思い出して、夢中で読み始めました。そうすると当初は訳が分からなかった言葉が飛び込んでくるようでした。この言葉は自分に語られている、はっきりそう感じました。聖書をいただいた時既に主は近くで私を呼んでおられたのです。(H・H)

8.熟成された大粒の種

14_史門聖書 大学生のころ、英会話の講義の中でクリスマスプレゼントとしてギデオン協会の和英対照新約聖書をいただきました。いただいたからには読んでみようと最初のページを開いてみました。マタイの福音書、名前ばかりに挫折。聖書は本棚の奥に置かれることになりました。社会人になり仕事上の悩みをきっかけに、自分の生き方に疑問を抱くようになりました。哲学書や宗教書を読みましたが、明確な答えが見つからず、友人に誘われて礼拝に出ました。

牧師先生に祈っていただいた夜、棚の中の聖書を久方ぶりに開いてみました。名前ばかりのあの最初のページ、マタイの福音書です。でも今度は全く退屈せず、読み続けることが出来ました。そして間もなく、洗礼を受けました。私の救いの過程で、ギデオンの聖書は長い歳月を経て大きく用いられました。思い出の聖書は、今同じような悩みを持っている友人の手に渡っています。(C・O)

9.結婚・出産・子育て…と今に続く聖書との出会い

23_西嶋バス はじめて聖書を手にしたのは、高校生の時で、生徒全員に配布されたのです。何とも言えない嬉しさと温かさを感じたことが忘れられません。でも熱心に読んだ記憶はなく、そのまま机の引出しに入れておりました。就職して人間関係の厳しさを味わい、苦しい日々を送っていた時、かつて頂いた聖書を思い出し、引出しから見えるところに移しました。

ページをめくりながら、あまり意味も分かりませんでしたが、心が慰められているのを感じました。同じ悩みを持つ高校時代の友人と出会い、一緒に教会に導かれました。不思議なことに、ギデオンの聖書を手にした時と同じ感情を体験しました。説教はよく分かりませんでしたが、訳もなく涙が出てとまりませんでした。半年後、洗礼の恵みに与りました。結婚、出産、子育てと大いに身辺に変化がありましたが、神様、教会から離れずに来られたのは、主のご計画と憐れみの故だと感謝しております。(K・I)

10.中学生の時に出会った聖書

22_聖書と手のみ 私が中学一年の時、ギデオン協会の聖書を初めて手にしました。それから間もなく、聖書の学びをしませんかという誘いを受け、学びの中で貪るように聖書を読み、慰めと励ましを受けました。しかし、学びを勧めてくれた人が「カルト」宗教団体の一員でした。聖書や神に対する信頼というよりは、その団体に対する絶対的服従を強いられました。それでも私はそのまま学びを続けざるを得ませんでした。

大学進学を機に聖書にまつわる一切から逃れるように上京しました。全て解放されるどころか夜遊びの毎日で、気付いた時には借金の山でした。私にとって神を信じるというのは、偉大な父親探しでありました。なぜか捨てずにあったギデオンの聖書を手にして読みました。私に押寄せて来たのは、如何なる時にも愛に満ちた父なる神の愛と赦しでした。日常生活の中で御言葉によって生かされている喜びを実感しています。(A・S)

11.人生の挫折の中で、引寄せて下さった神様

01_銭_03 私が高校生の時、ギデオン協会から全生徒に聖書がプレゼントされました。小豆色の硬い表紙にギデオンのマークがついた和英対照の聖書でした。このとき初めてキリスト教に触れ、悩み多き高校生時代に聖書を読み、福音放送を聴いておりました。倫理社会の授業で習った「宗教」を超えて私には特別のように思えました。何時もギデオンの聖書を持ち歩いていましたが、大学に入学してから、自分の力に頼る生き方に変わりました。

聖書は殆ど開かれず、就職、結婚、出産、離婚、引越しで失くしてしまいました。人生の失敗と挫折の中で、まるで放蕩息子のように帰郷しました。その中で神様は私を強く引寄せて下さり、洗礼の恵みに与りました。失くしたと思っていた聖書は、実家の本棚にありました。それは私が送り返していたのです。今は教会で奉仕することがゆるされ、ただ主の憐れみに他なりません。主に従う日々をと願います。(M・K)

12.「怪しいもの」と思っていたギデオン聖書

15_富澤夫人 高校1年生の時、校門の前でギデオンの聖書を受け取りました。当時は「宗教」というと「怪しいもの」と思い、でも何故か捨てられずに持ち帰り本棚にしまいました。社会に出て世の中の裏側を目の当りにし、自分自身の隠れた醜さにも気付いてしまい、心の虚しさを覚えていました。三浦綾子さんの本から影響を受け、キリスト教に強く心引かれました。聖書を読んでみようと思い、開いたところに「イエス・キリストの系図」が書かれてあり、眠ってしまった事を懐かしく思います。

ギデオンの聖書には「おりにかなう助け」というページがあり、少しずつ読むようなりました。神様の不思議な導きで教会の一員になりました。沢山の本を処分した中でギデオンの聖書が今でも伴侶として手元にあります。ページをめくった途端、聖書を手にしてからイエス様は私の心をノックし続け、見捨てず諦めない神様の愛を思い、感謝で涙しました。(Y・T)

13.家族全員がクリスチャンに!

07_近藤01  高校時代にはじめて聖書に出会いました。それはギデオンの方々が配ってくれた赤い表紙の和英対照の聖書でした。所々拾い読みをし、愛については少し記憶に残っていました。父が事故のため障害者になりました。何か見つけられるのではと思い、教会に通うようになり、結婚に導かれ妻と共に祈りました。父母の心が少しずつ和らいでいきました。母は父の看病疲れから脳梗塞で倒れ、重篤な状況でした。教会の皆様のお祈りがあり、沢山の御言葉と讃美を聞くことができました。母は御言葉に涙を流し、幼子のような美しい笑顔を見せました。神様の導きの中、病床洗礼を受け天に召されました。

車椅子の父は、時々教会に通っていましたが、呼吸困難で危篤状態になり入院、 ICUで洗礼を受けました。それから病状が良くなり、親孝行することが出来ました。私が信じたことで、妻に出会い、両親、長男と次々に家族が救われ感謝しております。(Y・A)

14.借金の不安の中で開いた聖書

18_早川01 父の取引先の方が、母と私に聖書を下さいました。それはギデオンの聖書でした。数日後、父が保証人になっている取引先が倒産したため、多額の借金を背負うことになりました。

一家は大変な状況になり、子供の私には何も出来ず、不安な中で聖書を開きました。「おりにかなう助け」という頁は、初めて聖書を読む私にとっては、大きな導きと助けになりました。自分の気持ちに当てはまる箇所を繰り返し読みました。涙がたくさん溢れました。

「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう」マタイ11章28節、神様はあらゆる言葉を通じて温かく語りかけて下さっているように感じました。聖書は本ではなく神様の声だと思いました。神様は最も必要な時に、聖書を届けて下さったのだと思います。その後教会に導かれ、母と共に受洗し、どんな時にも祈り合える人生に変えられました。(Y・T)

15.教会に行くきっかけとなったギデオン聖書

10_腕章あり贈呈 聖書は中学3年の時に誰に勧められたのでもなく自分で買っていました。ところが読み始めても、さっぱりわからず箴言だけは諺のようで面白いと思った程度で、すぐ私は読まなくなっていました。そして高校3年の時、先生がクラス全員に「ギデオン協会」の聖書を配られました。大学受験の時、「なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりに私たちに得させるからである。」(Ⅱコリント4:17)ということばを受験の標語のように読んでいました。

翌年大学に合格し、通う大学の近くで特別伝道集会のチラシを受け取り教会に通うようになりました。ギデオン協会の新約聖書を何度か読んでいたので、教会で語られる説教が心に入り、信仰を求め、翌年5月に洗礼を受けることになりました。キリスト教に触れる機会がほとんどなかった私ですが聖書を手にして読み始め、そのことがきっかけで教会に通うようになり、私の信仰への導きに「ギデオン協会の聖書」が大きく関与しており感謝いたします。(K・N)

 16.ロッカーに置いてあった聖書から…

13_西嶋02 今から28年前、大学2年生の時、学校の掲示板に「英語日本語の対訳聖書を無料で差し上げます。」という案内を見つけ、無料ならぜひほしいと思ったのですが、当日になると受け取りに行く勇気もなく迷いつつ諦めました。帰る時、廊下のロッカーの上に無造作に一冊の本が置いてありました。誰かの忘れ物と思い手に取って見るとギデオンの聖書でした。たまらなく欲しくなり、黙って持ち帰ってしまいました。いくら無料だとはいえ、人の物を持ち帰った泥棒という罪悪感で、ドキドキしていた私は、帰途のバスを待つ間、いたたまれなくなって、聖書を開いてみましたが、どこをどう読めばいいのかわかりません。

仕方なく表紙を見ると聖書の言葉の書出しがあり「すべての人は罪人である」という言葉に目が留まりました。その聖書を“盗んだ”という罪悪感もあり、「キリストを私の救い主として受け入れる私の決意」という欄に、氏名と日付を署名しました。信仰も悔い改めもない、ごく軽い気持ちの署名でしたが、主は、私の一瞬の祈りと決意を見過ごしにされずその形ばかりの決心を本物になるようにと、よき友、よき師、よき環境を備え整えて下り、その年の内に私を本当の救いに導いて下さいました。(R・S)

17.抑鬱病の中で探し求めた「言葉」

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 私は高校を卒業後就職し、まもなく抑鬱病のため、入退院を繰り返し、職を転々としました。「言葉」を信じる事が出来なくなり、言葉を口にする事を嫌悪し、閉鎖病棟で筆談をしていた時期もありました。その頃、姉から手紙で姉がクリスチャンであった事、姉は心を病み、救いを求めて教会に行くようになったと書いてありました。その手紙の最後に「実家にギデオンの聖書が置いてあるから読んでみて」とありました。私はその聖書を見つけ読み始めました。

そして3ヶ月、ようやく読み終え、姉が以前行っていた教会へ行きました。もう一度やり直したいと、仕事を求め東京に出て、教会に導かれました。「わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。」(ヨハネ14:18)…そして「この言に命があった」(ヨハネ1:4)というみ言葉に触れ、探し求めていた「言葉」がこの聖書にこそある、信じたいと思いました。そしてイエス・キリストを救い主と告白し、バプテスマを受けました。(H・K)

18.力は聖書から(お手紙より)

11_西村01 私はY・Yと申します。このたびは、貴協会からいただいた新約聖書のお礼を申し上げるため、お手紙を書きました。わたくしが聖書をいただいたのは、実は10年ほど前の県立大学の学生のときでした。ごく軽い気持ちで、学内で無料配布されていた聖書を手にしました。その頃は内容を理解することなく、以降ほとんど読み返すこともありませんでしたがその後社会人となり、ここ2~3年の間にいろいろ苦しい状況を経験しました。私は久しぶりに聖書を開き、はっきりとここに救いがあることを確信しました。そして生まれて初めて教会で祈りたい気持ちになりました。そこで2007年クリスマス礼拝の時に、近所の教会を1人で訪ねました。翌年からこの教会に通い、そこのゴスペルクワイアにも参加し、充実した楽しい毎日を送っています。私が苦しい時期をのりこえることが出来たのは聖書のおかげです。
私に聖書を与えて下さったこと、神様がいることを伝えて下さったこと、本当に有難うございます。(Y・Y)

19.「最後の章から読んで下さい」の本

17_路傍贈呈_手元 高校3年の時、聖書をいただきました。
卒業後繊維工場に就職するも仕事の内容は単調で、心みたされず、悶々としていたある日、「あっ!学校でもらった本」…と思い出して捜すと、綿ボコリを被った朱色の聖書がありました。貰ってから一頁も開かず本立に立てていたのです。早速ページを開けると「箴言」でした。読んで私は「こんな素晴らしい本があったのか」と夢中になり読み続けました。

読み終わった頃、私の弟と学校行事の打合せで家に来ていたKさんが帰り際に、私の部屋に来て「兄さん何の本を読んでいるのですか」と聞いたのです。私が「聖書」ですと言うと、彼女は「解りますか」と言うので、私は「まー何とか」と答えたところ彼女が「聖書を解りやすく教えてくれるところに行きませんか」というので、私は即答で「お願いします」と答え、Kさんは「次の日曜日一緒に行きましょう」と言って帰宅しました。次の日曜日教会に導かれました。そして牧師先生のご指導で満21歳なりたての若者がクリスチャン列車の乗客の一員になっていたのです。(Y・S)

20.待合室にあったギデオン聖書

20_西村02 私は、2年前までは教会に行ったことも聖書に触れたこともありませんでした。一昨年イースターに友人に誘われ、親子で行きました。その後夏休みに幼児科のお楽しみ会にも参加しました。

その直後、予期せぬ出来事がありました。娘が大学病院に緊急入院し、手術を受けたのです。「悪い病気かもしれない」という医師の言葉にひたすら「命だけは守って欲しい」と何かにすがりたい一心でした。そんな時、手術待合室に置いてあるギデオン聖書が目にとまりました。「自由にお持ち帰り下さい」と書いてあったので「気分が少しでも紛れるかな」と思い、早速手にとって読んでみました。内容はなかなか頭に入りませんでしたが、気分は紛れました。そして無事手術が終了した時、安堵と共に「神様の意思によって私たちがこのキリスト教病院に導かれ、救われたのではないか」と漫然と感じました。

翌日、娘に昨日頂いた聖書を見せました。すると「自分も欲しい」と言い、また頂いて娘に渡すと大喜びでした。娘の退院後、神様の存在を強く意識するようになり、聖書に書いてあることをもっと知りたくて、毎週娘たちと教会に通うようになり、クリスマスにバプテスマを受けました。また、去年の年末に娘たちがそろって信仰を決意しました。「神のなされることは皆その時にかなって美しい。」病院での聖書との出会いは、私や娘にとって、とても大きなものでした。
(M・T)

21.母から手渡された一冊の聖書

16_手渡し 私は、中学生の時に経験した祖父の死を通して、人生について考えるようになり、「人は死んだら終わりなのか、何か希望が持てることがあるのか」知りたいと思うようになりました。その頃学校の物理の先生が「見えるものは見えない物から出来ている」という話をされ、全て物は原子、そして陽子・中性子、更に小さな3つの粒となり、それは物と呼べるものでなく、霧のようなもので出来ているという事でした。学校から帰ってその話をすると、母は私に聖書を渡してくれました。読んでみると「死人を生かし、無から有を呼び出される神」(ローマ4:17)等のみ言葉を通して人間から出た言葉でないように思い、ここに答えがあると思いました。

聖書を読み神が用意しておられる御国に行きたいという願いを持つにつれて、他方では今まで意識していなかった罪を意識するようになり、どうしたらいいか教えて欲しいと思い、教会へ行ってみようと電話帳で調べ教会へ行きました。みな親切で、牧師先生も丁寧に話をして下さり、一人で読んでも解らなかった聖書の読み方や、福音を聞くことが出来ました。牧師先生は私の為に祈って下さいました。私はとても嬉しく思い、悔い改めイエス・キリストの救いへと導かれました。(K・M)

22.初めて手にした聖書

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 私は、福音に触れる可能性はほとんど無かったのですが、不思議に子どもの頃から聖書的な事柄を目にしたりする機会が何度かありました。子どもの頃に私の興味を引いた二つの本があったことが幸いでした。一つは「二郎(次郎)の心」という小冊子で、もう一つは少年少女世界文学全集の「聖書物語」です。小さい時から読書が好きで、どちらも繰り返し手に取りました。「次郎の心」は人間の罪が心の中の動物として示され、イエスさまを信じるまで、解決されないという内容でした。カットを見ているうちに罪の意識が生じたことを覚えています。「聖書物語」は内容が面白く何度も読みました。また、公民館での映画「十戒」を見て、それがきっかけになり町の教会学校に何度か顔を出しました。

私が実際聖書を手にするのは、ギデオン協会のもので、中学校でクラス全員に配られたものでした。和英対象の聖書で、最初のページを開いて見るとカタカナの名前がずらりと並んでおり、(マタイ1章の系図)、「聖書物語」の印象とはずいぶん異なるものでしたが、これが生まれて初めて手に入れた、私の「自分の聖書」だったのです。その聖書が少しずつ真理への扉を開いてくれたのでしょう、私は中学から高校にかけて自分の心の醜さに悩むようになり、紆余曲折を経て大学浪人中、イエス様を信じて救われました。(Y・N)

23.ギデオンの聖書から信仰を

08_西村03 私が高校生の時でした。学校から配布された聖書を初めて手にした時、なぜかとても嬉しく、急いで家に帰り聖書を開きました。み言葉の意味はよく理解できませんでしたが、反抗心バリバリの心にスーと優しく響き、み言葉に従いたいと思いました。これが本物の神様ではないか…と私は直感で感じ、ギデオンの聖書を書き写すなどして慰めを受けるようになりました。

それから間もなく、高校2年生になって、クリスチャンのAさんが私を教会に誘ってくれ、聖書の学びを親身になって助けてくれました。

しかし、だんだんと「クリスチャンになったら自由がなくなる、いい人にならなくてはいけない…」などと思い込み、み言葉に惹かれながらも、私も教会から疎遠になりました。数年経った時、Aさんが教会を離れていると聞いた私は思わず「私も教会に行くから、あなたも教会に行って!とお願いしました。主は私が教会に行く決心をするように、再びAさんを通して、教会に導いて下さいました。主はずっとつかんで離さず、見守り、忍耐して、待っていて下さいました。そして1993年3月、受洗の恵みにあずかりました。(Y・K)

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